「サイが私に降ってきてから
1.000日」
毎日、サイのことが気になっている。
それは、ある日突然始まった、と言ってもよい。
2011年3月6日、上野動物園のカバ来日100年記念の
講演会に行った。
講演後、カバを見て、隣のアシカを見て、その隣のサイを見た。
翌日から、灰色の密度100%の犀の巨体が私の頭の中を
悠然と歩く。
よくわからないけれど気になり始める、という感覚。
そう。でも、これは究極の片想いになる。
そして、2日後、私の誕生日だった。
50代になると、年を重ねる度にちょっぴり
人生の終わりを意識する。
そして、さらに3日後、東京のとある場所の古くて細いビルの
上層階の1室で、古楽器リュートのレッスンを受けていたとき、
激しく揺れた。サイが数十頭、全速力で駆け抜けたらこんなだろうか?
その部屋の壁にひびが入るほど揺れは激しかった。
大震災は、ある日、突然、全てが終わることもある、
と教えてくれた。
だから、迷わず、今から、サイのもとに走ろう!!
そんな具合に、サイ好きの日々が始まりました。
それから、サイのいる動物園に通い、サイのことを
色々と知りたくて、インターネットで調べるようになりました。
日本語の新しい情報は少ないので、英語、フランス語の
情報も含めて紹介しているのが、このブログです。
この1000日でサイの密猟問題が日々、深刻化し
悲惨な内容の記事が多くなってしまうのは辛いですが。
東日本大震災から12月4日で1,000日、
サイが私に降ってきてから、11月29日で1.000日、
理由を聞かれてもうまく答えられませんが、
飽きることなくサイへの片想いは続いています。
思い起こせば、大学のフランス文学科で書いた卒論の
テーマも「犀」でした。イヨネスコというフランスの劇作家が
1960年に書いた戯曲のタイトルです。
この作品では、最初は犀のことを馬鹿にしていた人間たちが、
しだいに犀ほど美しく素晴らしいものはない、だから自分も
犀になりたい、と考え始め、次々と犀に変身していき、
最後には主人公以外のすべての人間が犀になってしまいます。
それはファシズムや全体主義蔓延の恐ろしさを描くもので、、
ここで犀はナチズムの象徴なのですが、そのことはともかく、
犀と私はやっぱり、赤い細い糸で結ばれているのでしょう、
なんてね。